ジミ・ジェイミソンは1984年にサバイバーに加入。1 1993~2000年、2006~2011年はバンドから離れていたものの、2012年に2度目の復帰を果たし、現在まで活動を続けてきた。� Purchased Never Too Late - following article in AOR magazine (sister to Classic Rock) and have had it for a couple of weeks and its been on near constant play in the car. サバイバー(Survivor)での活躍でも知られるシンガーのジミ・ジェイミソン(Jimi Jamison)が死去。 サバイバーの公式Facebookページでも訃報が伝えられています。サイトTMZによれば、8月31日に心臓発作のため米テネシー州メンフィスにある自宅で亡くなったようです。 This album is Jimi Jamison at his very best. Copyright © CyberAgent, Inc. All Rights Reserved. / ジミ・ジェイミソン : never too late ネヴァー・トゥー・レイト 発売日:2012年10月24日 micp-11067 \2,571+税 <メロディアス・ハード> ☆ボーナス・トラック1曲追加収録 1. everybody's got a broken heart 2. the great unknown 3. Javascriptを有効にしてください。詳しくはお使いのブラウザのヘルプをご覧ください。, 【深ヨミ】Snow Man『KISSIN’ MY LIPS/Stories』2作連続でミリオンを記録したシングルの販売推移を比較, 【ビルボード】嵐『This is 嵐』が713,381枚を売り上げてALセールス首位獲得 Stray Kids/EXILE ATSUSHIが続く, Official髭男dismが【超放課後祭】でSPライブ披露、高校生のパフォーマンスにメンバーも涙, BABYMETAL、ベストAL『10 BABYMETAL YEARS』ジャケ写&収録曲&特典ビジュアル公開, 11月15日にミューザ川崎シンフォニーホールで公演【ジャズピアノ Battle ジャム】を開催, このエルマークは、レコード会社・映像制作会社が提供するコンテンツを示す登録商標です RIAJ80010003, 本田雅人と中川英二郎が【かわさきジャズ2020】で共演。気の合う二人が音楽の魅力を語る, <Billboard JAPAN×NTTデータ>ビルボードライブ横浜のプロモーションビデオを脳科学で分析してみた, “ライブを見てほしい”--「キンモクセイ」で注目のオレンジスパイニクラブのロングインタビュー, 山下洋輔、スガダイロー、桑原あい、奥田弦〜世代を超えた4人のピアニストが、「ジャズピアノ Battle ジャム」への意気込みを語る. 今回、レビューする第6作の当時のメンバーは、その大ヒット時とはリードヴォーカルが、 ジミ・ジェイミソン に交代しています。 僕は、1985年以降の80年代に洋楽に浸かった人で、サバイバーのボーカルといえば、まず、ジミさんでした。 現在お使いのブラウザではJavascriptが有効となっていないため、サイトのコンテンツが正常に表示・動作されません。 今回、レビューする第6作の当時のメンバーは、その大ヒット時とはリードヴォーカルが、 ジミ・ジェイミソン に交代しています。 僕は、1985年以降の80年代に洋楽に浸かった人で、サバイバーのボーカルといえば、まず、ジミさんでした。 One Man's Trash Feat. 日常の風景の移ろいに馳せる想い、仕事の話、言語のお話、それから、洋楽を中心とした音楽(CD)レビューなどを記していきます。, ”ジミつながり”で、もっと早く書いても良かったが、「イズ・ディス・ラヴ」で感傷に浸るだけでは済まなくなって、サバイバー6thアルバム『ホエン・セカンズ・カウント/When Seconds Count』の世界を、2010年リマスター盤(輸入盤)にて堪能しました。, サバイバーは、1980年代を中心に活躍した、ロックバンドです。映画『ロッキーⅢ』主題歌「アイ・オブ・ザ・タイガー/Eye of the Tiger」(1982年全米1位)のヒットで有名です。今回、レビューする第6作の当時のメンバーは、その大ヒット時とはリードヴォーカルが、ジミ・ジェイミソンに交代しています。, 僕は、1985年以降の80年代に洋楽に浸かった人で、サバイバーのボーカルといえば、まず、ジミさんでした。, 1985年、5th『バイタル・サインズ』をヒットさせていたサバイバーのカラー写真付き記事を、雑誌『FMレコパル』で見たのが、初めてのサバイバーでした。”俺たちはサバイバー(生存者)。”みたいな調子で書かれていましたが(笑)、そこで、ジミさんが、元は、コブラというバンドにいたこと、先任のリードボーカル、デイヴ・ビックラーに代わるボーカリストであることを知りました。, その記事の約1年後、10月9日に、『ホエン・セカンズ・カウント』がリリースされ、ここからのファーストシングル「イズ・ディス・ラヴ」は、ビルボードシングルチャートで、翌1987年1月、最高位9位まで登りました。, この「イズ・ディス・ラヴ」は、当時、みんなちがってみんないい、素晴らしい楽曲がひしめく全米チャートにおいては、やや地味なヒットとして記憶に残っていましたが、いま振り返ると、この曲は哀愁があって、なかなか忘れられないメロディ、僕にとって大切な楽曲となっています。, それを手元に置いて聴きたいと思って、アルバムを輸入盤で手に入れてライナーノーツを読み始めたら、これが実に面白く、しかも、収録された11曲、メンバーのジム・ピートリックによる楽曲解説を読みながら、流れるようにあっという間に聴き通してしまいました。, サバイバーや類似のメロディアスなロックバンド(ハードロックに括ってもいいが、僕的にはそこまでいかない、広い意味のロックに属する演奏をするバンド)は、当時、”産業ロック”と揶揄されましたが、僕は、よい印象しかありません。浮かれていてもゆるされた、産業が豊かな時代の緩やかで、メロディのポイントがわかりやすい、大衆向けのロック音楽として。, 以下、順に、2010年時点でのピートリック氏の解説(英語)と合わせて、10曲の感想です。なお、ボーナストラックの11曲目「バーニング・ハート」は、映画『ロッキーⅣ』の主題歌として、1985年にリリースされ、翌1986年2月に最高位2位となりました。またぐねえ!年を。, 【メンバー】ジミ・ジェイミソン(リード・ヴォーカル)元コブラ/ジム・ピートリック(キーボード)/フランキー・サリヴァン(ギター)/ステファン・エリス(ベース)/マーク・ドゥルーベイ(ドラムス), #334 1986年のサバイバーを聴く! | THE OTHER SIDE OF LIFE -ysheartの部屋-, 【サポートメンバー】マイク・モラン(シンセサイザー)/ビル・クオモ(シンセサイザー)/トム・ケリー(バックボーカル)/トミー・ショウ(バックボーカル)←この人、スティクスの人かな, 「イズ・ディス・ラヴ」に次ぐ、セカンドシングルとして1987年3月に全米51位。中ヒットに終わりましたが、僕は覚えています。軽快で明るい曲ですが、キーボード主体でさらっと聞き流す感じが、アルバムのオープニングにはいいですが、大ヒットにならないのもわかります。ピートリック氏も、”ラジオ向けのヒットが必要だった”から作ったに過ぎない、という趣旨のことをおっしゃっています。, ピートリックさん、この曲は好きだ!とのことです。あっさりした前菜の後に、タイトなのが来て、まあここにいて聴いてみろ、と言いたげです(笑), このジミのボーカルが感傷と同時に力強さを伝えてきます。”だれしも経験するこれは現実なのか、これが愛なのか”という、ピートリック氏にとって最高の歌詞の世界であると。氏によれば、, サードシングルは、1987年3月、86位にとどまりましたが、『ロッキーⅣ』サントラ収録曲でもあり、また、よいバラード曲です。ピートリック氏も、”これまでのパワーバラッドで最も気に入っている曲の一つだ”と。また、同曲でのジミの歌唱を高く評しています。ピートリック氏は、この曲を書く前に、『レ・ミゼラブル』を観劇したので、その余韻がある状況で書いた結果、このようになったということを述べています。, ピートリック氏は、”アップテンポの曲で何かを伝えるのは、バラードよりも難しい”と言いつつ、この曲を解説していますが、同曲はバラード調から、アップテンポに転ずるユニークな曲。アーサー王伝説を描いた劇『キャメロット』で、リチャード・バートン扮する若きアーサーが、次の王へと成長していくイメージだという趣旨で述べています。, 2010年当時、再結成したサバイバーのワールドツアーで、この曲で、元ボーカルのデイヴと、ジミが共演を果たしたと語っています。, 解説の雰囲気からすると、ピートリック氏の本作でいちばんのお気に入りのようです。”パワーバラッドのアーキタイプ(原型)であり、自分はこの曲を誇りに思う”として、また、ジミの歌唱を讃えています。たしかに心が高揚する良いバラードで、本作のB面(LP)、後半のハイライトと言えましょう。, ロックバンドの矜持を示さなければならないから、こういうのも必要かと思う・・・みたいなことを氏は述べています。つまりそれほど好きではない(笑)。こうして読んでくると、ピートリック氏はダイレクトで自己評価といえど、忌憚のない解説をしていますね。キーボーディストというポジションらしいというか、同氏の音楽的な感性をうかがい知ることができそうです。しかし、僕には、共鳴できる感覚だと思われました。, 以上でしたが、当時は自分の至近距離で通り過ぎて行った作品の見えなかった部分が、こうして見直してみると、いまの音楽環境もあってか、貴重な再評価ができている気がします。ジミさんは、2014年に惜しくも亡くなりました。本作のメンバーでは、エリス氏も2019年に亡くなったようです。, ところで、今回は輸入盤でしたが、ライナー中に、日本盤のシングルジャケットが載っていました。なんかすごいですね(笑), 日本も、彼らのマーケットとして、(あるいは音楽の分かる支持者たちに恵まれた国としても)普通に含まれ認識されていたのでしょうか。それなら、うれしいことです。, では、久しぶりの記事、読んでくださってありがとうございました。コロナに負けず、ディスタンス、マスクなど、守っていますか。守りましょう。そのくらいの根気をもって、ワクチンの開発、普及、ウイルス禍の終息を待ちましょう。良い週末と日曜日を!. 現在お使いのブラウザではJavascriptが有効となっていないため、サイトのコンテンツが正常に表示・動作されません。 ボクシング会場の花道で熱唱するジミ (2011年11月 パッキャオvsマルケス 第3戦) 悲しい知らせです 8/31、ジミ・ジェイミソン が自宅で亡くなった… Javascriptを有効にしてください。詳しくはお使いのブラウザのヘルプをご覧ください。, 先日亡くなったサバイバーの元リード・シンガー、ジミ・ジェイミソンの死因が、メタンフェタミン(覚せい剤)中毒による脳卒中であったことが検死で明らかになった。, シェルビー郡検死官が11月11日に発表した報告によると、9月1日にメンフィスの自宅で死亡した63歳のジェイミソンには、心臓血管疾患や動脈の狭窄化が見られたとのことだ。これまでは心臓発作で無くなったものと思われていた。, 同報告では、ジェイミソンは“急性メタンフェタミン中毒が関与した”出血性脳卒中による死亡であったとしている。, シルヴェスター・スタローンの映画『ロッキー3』のテーマ曲「アイ・オブ・ザ・タイガー」で既に有名だったサバイバーへ、デイヴ・ビックラーの後任として1984年に加入したジェイミソンは、「バーニング・ハート」や「イズ・ディス・ラヴ」などのヒット曲でボーカルを務めた。また、ターゲットやコブラのメンバーだった他、米テレビドラマ『ベイウォッチ』のテーマソング「アイム・オールウェイズ・ヒア」を共作し歌っていた。, 【深ヨミ】Snow Man『KISSIN’ MY LIPS/Stories』2作連続でミリオンを記録したシングルの販売推移を比較, 【ビルボード】嵐『This is 嵐』が713,381枚を売り上げてALセールス首位獲得 Stray Kids/EXILE ATSUSHIが続く, Official髭男dismが【超放課後祭】でSPライブ披露、高校生のパフォーマンスにメンバーも涙, BABYMETAL、ベストAL『10 BABYMETAL YEARS』ジャケ写&収録曲&特典ビジュアル公開, 11月15日にミューザ川崎シンフォニーホールで公演【ジャズピアノ Battle ジャム】を開催, このエルマークは、レコード会社・映像制作会社が提供するコンテンツを示す登録商標です RIAJ80010003, 本田雅人と中川英二郎が【かわさきジャズ2020】で共演。気の合う二人が音楽の魅力を語る, <Billboard JAPAN×NTTデータ>ビルボードライブ横浜のプロモーションビデオを脳科学で分析してみた, “ライブを見てほしい”--「キンモクセイ」で注目のオレンジスパイニクラブのロングインタビュー, 山下洋輔、スガダイロー、桑原あい、奥田弦〜世代を超えた4人のピアニストが、「ジャズピアノ Battle ジャム」への意気込みを語る, テイラー・スウィフトが7週目の国内洋楽No.1獲得、独走中の女王を日米異色コラボが追う, テイラー・スウィフトがSpotifyから突如消えた理由? レーベルCEOがニッキー・シックスに明かす, Billboard JAPANとTikTokによる番組『NEXT FIRE』に優里が出演 生配信されたスタジオライブをレポート, sooogood!、AL『Strawberry,Gun,St.Bernard』リリース決定, LMYK、ソニーの次世代映像システム「Warp Square」を使ったライブ映像を公開. 。, ミシシッピ州の田舎生まれ。しかし本人は、自分のことをテネシー州メンフィスの生まれだと考えていた。ジェイミソンと母親のドロシー(1932年-2009年)がメンフィスに移ったのは彼が生まれた一日後のことだったのだ。十代の頃、独学でギターとピアノの弾き方を覚えたのだが、歌唱力については時間をかけて磨きをかけていった。中学校に上がるまでにもうバンドでの演奏を始めていた。, 1970年代の終わりには、メンフィスで活動していたバンド、ターゲット[4]のボーカルを務めていた。その後、1980年代初期にはより知名度があった、コブラというバンドのリード・シンガーとなっていた。その後、様々な成功したミュージシャン達、例えばZZトップやジョー・ウォルシュなどのバック・ボーカルを務めている。, 1984年にコブラが活動を停止した後、ジェイミソンはサバイバーに誘われる。サバイバーは、ナンバー・ワン・ヒットである「アイ・オブ・ザ・タイガー」(この曲の発表時のボーカルはデイヴ・ビックラーだった)を出した後、どんどん人気が衰え続けていた。ジェイミソンが慣れ親しんでいたコブラのヘヴィメタルなスタイルとは全く対照的なスタイルである、ジェイミソンからすれば「ポップ・ロック」なスタイルを取るサバイバーのボーカルをやることに最初はあまりこだわりはなかったのだが、結局はバンドに加わり新たなリード・ボーカルとなった。, ジェイミソンはサバイバーにすぐさま活気をもたらした。バンド加入後に発表されたアルバム『バイタル・サインズ』(通算5枚目のアルバム)からは数曲のシングルが大ヒットしたのである。こうしてバンドはスターの地位に、もう一度それもあっという間に返り咲いた。ジェイミソン加入後の2枚目のアルバム『ホエン・セカンズ・カウント』(通算6枚目のアルバム)からは、新たに「イズ・ディス・ラヴ」がトップ10入りした。このアルバムではまた、ジェイミソンが作曲面でバンドに貢献していることが見て取れる。ジェイミソンは4曲を共作しており、その中にはもう一つの印象的なシングル曲「マン・アゲンスト・ザ・ワールド」がある。, ジェイミソンがサバイバーと一緒に演奏する際に要求された最大の妥協は、自分以外の作者が書いた曲の演奏を諦めることだった。「たまにアンコールを始めようという時に、誰かが『レッド・ツェッペリンをやろうぜ!』って言うんだ」。ジェイミソンが1987年に『ナイン・オウ・ワン・ネットワーク』誌に語っている。「それで、『イェー、イェー』ってうなずきたくなるんだよ。それからもうぎりぎりの最後になって『いや、代わりにこっちの曲をやったほうがいいよ』って言うことになるんだ」。, ジェイミソンの歌で最もよく知られているのは、シルヴェスター・スタローンの映画『ロッキー4』で使用され、映画のサウンドトラックにも含まれている「Burning Heart」である。ビルボード最新ヒット100で第2位まで昇っている。その他、「High On You(アメリカ国内のチャートで第8位)」、「The Search Is Over(アメリカ国内のチャートで第4位)」、そして映画『ベスト・キッド』で使用された「ザ・モーメント・オブ・トゥルース」[5]などがある。, 1988年には新しいアルバム『今夜は眠れない』が発売された。これは、サバイバーの1980年代の最後のアルバムとなった。ジェイミソンとバンド仲間達は、このアルバムをこれまでの中で最も優れたものだと考えたのだが(後にジェイミソンは過去を顧みて語った時に、サバイバーのアルバムの中で一番好きなアルバムだと言っている)、実際は、レコード会社が積極的に販売促進をせず、結果として以前のアルバムのような成功を収めることができなかった。結局、バンドは1993年まで活動を停止することとなった。, Jimi Jamison Dead; Lead Singer Of Survivor Sang On Numerous Hits, https://genius.com/Jimi-jamison-im-always-here-theme-to-baywatch-lyrics, “Survivor The Moment Of Truth Chart History”, https://www.billboard.com/music/survivor/chart-history/hot-100/song/62766, "I Can't Hold Back" video, with Jimi Jamison, on July 21, 2011 Jimi Jamison was recognized by the Hard Rock International as a Solo Artist while in Boston, MA. 左ジミ・ジェイミソン(Vo) 右フランキー・サリバン(G) 2013年 1993年 にデイヴが復帰するも新作アルバムのリリースはなく、ベスト・アルバムに新曲を収録した程度であった。 Jimi Jamison & Fred Zahl. Yet another great album from Jimi Jamison - he gets better with each new release. I love it. ジミ・ジェイミソン 『ネヴァー・トゥー・レイト』 先頃急逝したジミ・ジェイミソンの遺作となってしまった、2012年作の最新ソロ作です。 サバイバーのヒット曲の数々を中心、彼の美声は多くのメロディアス・ロック・ファンを魅了してきたと思われ、惜しまれてなりません。 アメリカンロックバンド、サバイバーの2代目ヴォーカルのジミ・ジェイミソンが、2014年9月1日に63歳でこの世を去って早5年の歳月が過ぎた。彼の歌声が80年代にもたらした功績を、この節目に改めて振り返ってみたい。※順位はすべて全米チャートより ボクシング会場の花道で熱唱するジミ (2011年11月 パッキャオvsマルケス 第3戦) 悲しい知らせです 8/31、ジミ・ジェイミソン が自宅で亡くなった… I'm already looking forward to the next project. News. ジミ・ジェイミソンという男はいつの時代もサバイバーであり、アメリカンHRであり、そしてジミ・ジェイミソンであり続けていた。ボストンのLIFE, LOVE & HOPEを聴いてそのあまりにも変わっていないそのサウンドに感激して思わず笑ってしまったのだが、ジミ・ジェイミソンもまた変わらないでいてくれていた。. 2015/02/02 『ブラックモアの真実2』発売決定 ポール・ロジャースやジミ・ジェイミソンが語るディープ・パープル加入未遂の経緯も ; 2014/11/12. 元サバイバー、ジミ・ジェイミソンの死因は薬物中毒による脳卒中だった ; シェルビー郡検死官が11月11日に発表した報告によると、9月1日にメンフィスの自宅で死亡した63歳のジェイミソンには、心臓血管疾患や動脈の狭窄化が見られたとのことだ。これまでは心臓発作で無くなったものと思われていた。 RIP Jimi. ジミ・ジェイミソン(Jimi Jamison、1951年8月23日-2014年8月31日)[1]は、アメリカ合衆国の歌手、作詞作曲家。かつて100万枚以上を売り上げた[2]ロック・バンド、「サバイバー」のメンバーだった。他に「コブラ」というバンドのメンバーでもあった。水難監視救助隊の活躍を描いたテレビドラマ『ベイウォッチ』のテーマ曲を書いて歌っていることでも知られている[3] 『ロッキー3』の主題歌「アイ・オブ・ザ・タイガー」の世界的ヒットで知られ、1980年代中期に隆盛を極めた。活動停止期間を挟んだ1990年代からの再開以降、過去作品からのリバイバルを主体に活動している。, 1977年シカゴで結成、1979年デビュー。ブラス・ロック・バンド、「アイズ・オヴ・マーチ」の元メンバー、ジム・ピートリック(英語版)(1950年イリノイ州生れ)が「チェイス」の元メンバーであったデニス・ジョンソンとゲイリー・スミスを誘って結成した[1]。他のメンバーもサバイバー結成以前から活動していた、バンド名の通りアメリカン・ロックの「生存者、生き残り(=サバイバー)」たちである[2]。, 作風は一作目から一貫してハスキーなボーカルが特徴のポップでメロディアスなハードロックである[3]。当初はセールスに恵まれなかったが、1982年にシルベスター・スタローンの依頼により作曲したアメリカ映画『ロッキー3』の主題歌「アイ・オブ・ザ・タイガー」が全米で6週連続1位という大ヒットを記録した。同曲を収録したアルバム『アイ・オブ・ザ・タイガー』も最高位2位まで上った。1985年には映画『ロッキー4/炎の友情』の主題歌「バーニング・ハート」もヒットさせている。なお、この曲は、ボクシングの亀田興毅とオリックス・バファローズの小松聖投手が自らの選手登場曲として使用している。, 1983年に「アイ・オブ・ザ・タイガー」などのヒットを歌ったデイヴ・ビックラー(1953年ノースダコタ州生れ、元ジェイムスタウン・マサカー、マライア)からジミ・ジェイミソン[4](1951年ミシシッピ州生れ、元ターゲット、コブラ)へとボーカルが代わるが、バンドはこの後に黄金期を迎える。1980年代中期に「バーニング・ハート」をはじめ4曲のトップ10ヒットを放ち、ロン・ネヴィソンによるプロデュースの下でリリースしたアルバム『バイタル・サインズ』『ホエン・セカンズ・カウント』の2作も好セールスを記録した。1980年代後半、音楽性がヘヴィな方向に変化しセールスが落ち込んでくると、実質的にジミ、フランキー・サリバン(1955年シカゴ生れ、ギター、元マライア)、ジム・ピートリック(キーボード、ギター)のトリオとなり、ベース、ドラムスが流動的メンバーとなった。その後はバンド活動が停滞しメンバーのソロ活動が目立つようになった。特に1989年から1993年の間はバンドとしての活動は完全に休止し解散状態であった。, 1993年にデイヴが復帰するも新作アルバムのリリースはなく、ベスト・アルバムに新曲を収録した程度であった。1999年にはジミ・ジェイミソンズ・サバイバーの名でアルバム『Empires』が発表されたが、これはサバイバーの名を使ってツアーを続けていたジミの2作目のソロ作品であった。サバイバー本体(結成時からの一貫したメンバーであるフランキー・サリバン)からジミに対してバンド名の使用を巡り訴訟が起こされていたが、同作発表後フランキーがサバイバー名義の所有権を得たことで決着が付き、アルバムもジミのソロ名義に変更された。結成メンバーのジム・ピートリックも1996年にバンドを離れ、2000年代はソロ・プロジェクトのプライド・オブ・ライオンズに専念した。, 2006年、18年振りとなるオリジナル・アルバム『リーチ』を発表。同作ではジミ・ジェイミソンがボーカルを務め、フランキー・サリバンがギターとプロデュースを担当し、ジム・ピートリックが作曲でのみ参加した。同年、ジミ・ジェイミソンは脱退し、後任としてロビン・マッコーリーが加入。2008年、ジミ・ジェイミソンがジム・ピートリックと組んで3作目となるソロ・アルバム『Crossroads Moment』を発表、こちらも、もう1つのサバイバー復活作品として好評価を得た(ただし、サバイバーの名義は上記の経緯から1999年以降フランキー・サリバンが所有権を取得しているため、彼が参加しないプロジェクト・ユニットが使用することはできない)。2012年のツアーから、再度、ボーカリストにジミ・ジェイミソンが復帰、さらに2013年からはデイヴとのツインボーカル体制になっていた。, 2014年8月31日、ジミ・ジェイミソンが心臓発作のためテネシー州メンフィスにある自宅で死去[5]。翌2015年に21歳の新人、キャメロン・バートンが後を継いだ[6]。, ジムは、チェイスのファースト・アルバム『追跡』に「Boys and Girls Together」を提供し、ラスト・アルバム『復活』にはボーカルで参加している, サバイバーというバンド名には、チェイスの他のメンバーが1974年に飛行機事故で他界した際、当時チェイスに参加していたジムはバスで移動、デニスとゲイリーは不参加という別行動を取っていたため難を逃れた「生存者」を意味するという説、またその中でも特にジム・ピートリック1人がニックネーム的にsurvivorと呼ばれていたとする説もある。, ただし、サバイバーの「Reach」、ジミのソロ「Crossroads Moment」いずれも日米各々ともに同じレーベル(アメリカ:, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=サバイバー_(バンド)&oldid=79099528, 「—」は、その地域でチャート化されていない、またはリリースされなかった録音を示す。, デイヴ・ビックラー (Dave Bickler) – ボーカル (1978年–1983年、1993年–2000年、2013年-2016年), ジム・ピートリック (Jim Peterik) – キーボード、リズムギター (1978年–1988年、1993年–1996年), デニス・ジョンソン (Dennis Keith Johnson) – ベース (1978年–1981年), ゲイリー・スミス (Gary Smith) – ドラムス (1978年–1981年), マーク・ドラウベイ (Marc Droubay) – ドラムス (1981年–1987年、1996年–2014年), ステファン・エリス (Stephan Ellis) – ベース (1981年–1987年、1996年–1999年) ※2019年死去, ジミ・ジェイミソン (Jimi Jamison) – ボーカル (1984年–1988年、2000年–2006年、2011年-2014年) ※2014年死去, ビル・サイニア (Bill Syniar) – ベース (1988年、1993年-1994年), カイル・ウッドリング (Kyle Woodring) – ドラムス (1988年、1993年–1996年) ※2009年死去, ランディ・レイリー (Randy Riley) – ベース (1995年、2003年–2005年), クリス・グローヴ (Chris Grove) – キーボード、リズムギター (1996年–2008年), ゴードン・パトリアカ (Gordon Patriarca) – ベース (1999年), バリー・ダナウェイ (Barry Dunaway) – ベース (2005年–2006年), マイケル・ヤング (Michael Young) – キーボード、リズムギター (2008年–2010年), ミッチェル・シグマン (Mitchell Sigman) – キーボード、リズムギター (2010年–2011年).

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