・ISの敵である特定の個人や団体、イスラエルやユダヤ教関連の施設 PHP7.3とSimplePie、画像の不具合、Homeの画像にカテゴリー名がかぶさる件. 「危ない宗教」を他人に危害を加えるような思想を植え付け、世界の支配を目的とするものと定義するならば、イスラム教は違います。 ⅰ)スンニ派の支配的・専門的職業(政治家、公務員、教員、医師)に就いていた人々の大量解雇 2013年の海外渡航者約1700万人当たりの死亡者の割合は0.0035%で、そのうち死亡要員ランキングでテロによる死亡は1.6%で第6位です。(外務省 海外邦人援護統計の公表) 「断食」⋯1年のうち1か月、日が沈むまで飲食をしない。 これらについて考えてみようと思います。, 一言でいうと、本来は「危ない宗教」ではありません。 もしイスラム教が危険な宗教だったならば、今のいままでに世界中のムスリムが暴動を起こして世界を支配しようとしていたでしょう。, イスラム教の経典「コーラン」には、ムスリムの義務として六信五行というルールのようなものが定められており、彼らはこのルールに従って平和な日常生活を送っています。 誰がテロ活動をしているのか? などです。 仏教を除く世界の主要宗教は今後40年で信者の増加が予想され、特にイスラム教は信者が急増してキリスト教とほぼ肩を並べる。(米世論調査機関ピュー... 2070年。世界ではキリスト教徒とイスラム教徒の人口が同じくらいになると言われていますが... 統計データを参照に、イスラム教徒が多い国はどこなのか?また今後イスラム教徒が増える見通しが立っている国はどこなのかを解説します。. 結局は、「リスクを最小限に抑え、自分の身は自分で守る」ことに尽きるということでしょう。, 何となく、イスラム教とISについて理解を深めることはできたでしょうか? 私はイスラム教の教えについて、長いあいだ誤解していたようです。 今朝Facebookを開くと、パリの友人から、こんな画像が流れてきました。 ISIS(日本報道ではIS)の構成員が、キリスト教徒夫婦の車を呼び止めた。 ISISのメンバー「あんたはイスラム教徒(ムスリム)か? という政策を実施しました。 少数派のスンニ派には優遇措置がおかれ、他方で80%を占める多数派であるシーア派やクルド人には不利な社会構造になっていました。, 事の発端は、アメリカが2003年のイラク戦争で当時のフセイン政権を打倒し、米軍による占領統治を行ったことです。 ところがイスラム国はあたかも「それをやってのけた」かのようにあざとく喧伝しているそうなのです。 アメリカがイラクから撤退する際に、アメリカ製の最新鋭の武器と鍛え上げられた屈強な兵士を残していきましたが、ISがやってくると彼らは武器を置いて民間人に紛れ、さっさと逃げてしまったのです。, マリキ政権はシーア派で、そこにいた兵士たちの多くもシーア派ですから、彼らにとってスンニ派の地域を命がけで守る理由がありません。そもそも北部地域は兵士の配置が手薄であったとも言われています。, 以上が、ISの現在に至るまでの大まかな経緯となります。 それは、イスラム教独特の思想「ジハード」を推し進めるか否か、という所が大きいです。 →銃をもった人間、挙動不審な人間がいないかを気にしながら行動する。 ISと一般人のやり取り、という形をとった投稿で、もちろん創作でしょう。スクリーンショット元の投稿日時は古く、先日のパリ襲撃に関連して書かれたものではないようです。(以降はISISではなく、ISと表記します), このストーリーが伝えたい事は、ISを見て「イスラム教徒=危険」というイメージを持ってしまっている人達に、『あんなのはイスラム教の教えじゃない!』と伝えたいのでしょう。, 海外にはイスラモフォビア(Islamophobia:イスラム恐怖症/イスラム嫌悪)という言葉もあるそうです。インターネットを調べてみれば、そういった偏見に苦しむムスリム達が、『ISと一緒にしないでくれ!』と声をあげているのが見つかります。, ・イスラム教の聖典コーランには「罪のない人を殺す者は全人類を殺したのと同じ」という一節がある。, ・米在住のムスリム女性「ISISをイスラム教徒とはみなさない。私が思うに、テロに宗教は関係ない。かれらは正当化しようのない行為を正当化するために、宗教のある面だけを拾い集めてそれらをねじ曲げているのだ」, ・同女性「スカーフを着けて歩くと周囲から”イスラム教徒だ”というささやきが聞こえて傷つく。ISISはイスラムの象徴ではないというメッセージを広めたい。」, ここ数日で、ロンドンの地下鉄でムスリム女性が線路に突き落とされそうになったなんてニュースもありました。ムスリムというだけで「テロリスト」と呼ばれた男性が、目隠しをして、パリの人々に「私を信じてくれますか」と問いかけた男性のニュースもありました(動画参照)。日本からは見えないけれど、ISの行為は、罪の無いムスリム達にまで苦しみを与えているようです。, 私はロンドンで、イスラム教徒の女の子と仲良くなりました。とても明るくて気前が良く、私が家を引っ越すと言えば「あなたを手伝うには、何時にどこに行けばいいの??」と返事するような、そんな優しい人でした。, 昼食の時間に、私達は公園の芝生に座って、色々な話をしました。宗教の話になると、彼女はパァッとした明るい笑顔で楽しそうに、イスラム教がどんなに平和的な宗教かを話してくれました。, いわく、人を殺す事は禁じられているという事。善行を心がけ、人を傷つけない事。飲酒をしないのも、酔っ払って人を傷つけない為である事。それに、他の宗教の信者が訪れたら、手厚く受け入れてもてなすように教わるとも言っていました。, 私は、驚きました。流血ごとばかりが話題になる「過激派」と、同じ宗教の話だとは思えませんでした。過激派を「イスラム"原理"主義者」と呼ぶのを見ながら、私はぼんやりと、イスラムの教義は他教徒に厳しいんだな、というイメージを持ってしまっていました。, 同じ教義を教わって、どうしてそんなに違うんだろう? 調べてみると案の定、解釈の違いがあるようです。例えばコーランに「多神教徒を殺し、」という文字列があったとして、それはストーリーの文脈や背景に沿って『これは当時の紛争を止める為の話だ』と解釈されるそうです。しかし一部には、書かれた文字だけを見て『神のおっしゃる通り、殺せ!』となる人がいて、彼らを「"原理"主義者」と呼ぶそうです。, イスラム教について話す彼女は、とても、誇らしそうに見えました。感心する私に、彼女は言いました。「コーランは奇跡的な書物で、誰もそこに矛盾を見つける事はできないの。あれは本当にすごい本。読めばきっと、君もムスリムになりたくなるよ。」 でも・・・, 彼女とは今も時々、メールのやり取りをしています。その度に毎回、お母さんのような口調で、「あんまりお酒を飲み過ぎないようにするのよ。いいわね?」と言われてしまいます。, ロンドンでテレビを見ていて、驚いた事がありました。ドラマの主人公がヒジャーブ(ムスリム女性がかぶるスカーフ)をしていたからです。, ロンドンは多国籍都市ですから、街でムスリムを見かけない日はありません。「いて当たり前」だから「当たり前」にドラマにも出てくるんだなぁと、妙に感心したのを覚えています。もしかすると、イスラモフォビアに繋がらないように、という意図も、あるのかもしれません。, 日本のテレビドラマでは、ムスリムが登場する場面をほとんど見た覚えがありません。もちろん状況が違うので、それも「当たり前」の事だと思います。, ただ、自分の身の回りにいないから、数が少ないからと言って、「当たり前のように偏見を持ってしまう」事がように、気をつけなきゃいけない。とも思うんです。, 朝鮮学校出身の在日韓国人3世。みんな暮らしやすい方がいいよね論者。最近は痴漢問題の話が多め。本当はもっと不真面目な話もしたいんだけどなぁ…リソース不足が悩みです。※記事の価格設定は投げ銭です。もしも気が向いたらどうぞ(感謝), こんばんは、はじめまして、どうかんです、命をたいせつにしない、宗教は、宗教なんかでは、ないです。, イスラム教徒に質問です。イスラム教に従うと、異教徒は殺してもいい、または殺すべきだと教えているのでしょうか?(Yahoo!知恵袋), コーラン第9章5節についてのアハマディア・ムスリム協会のツイート(Togetterまとめ). フセイン政権下で働いていたスンニ派の元軍人達は、次第に武装勢力と化し、そこにマリキ政権に不満をもつシーア派たちも共鳴して、徐々に今のイスラム国の原型となる団体が出来上がってきます。, シリアでは民主化運動に賛成していた金持ちのサウジアラビアやカタールから資金援助を受けていたシリアの反政府勢力(自由シリア軍、シーア派)と、アサド政権が熾烈に争っていました。 ただ、そういった「イスラム教」の「過激派」がどうしてそんな凶悪なテロ行為をするのか、よくわからないですよね。 2月には、モスルの博物館で、紀元前7... 原理主義の主な特徴、傾向を踏まえた上で、宗教学的に顕正会は日蓮の原理主義団体か否かについて考察します。, はじめまして。 私は顕正会で二十年近く信心していた者です。 初心の功徳は勤行で不…, 近所の駐車場でエアコン付けて車の中でいるのは不気味です。 苦情を電話で言おうと思…, 大橋広子さん せっかくコメントを戴いたにも関わらず、承認が大変遅れてしまい申し訳…, 日蓮宗です。10人位生まれて来たみたいです。下は、真言宗でした。 平家と源氏の間…, 追伸:工藤夕貴さんはお正月の総本山の食堂で見ました。大間ジローさんも総本山の食堂…, 顕正会、創価 最近は昔に比べたら穏和路線ですかね、 創価も位牌は容認でしょうか。…, ここ最近コロナで自粛なはずなのに集まって何やってるんですか通報しました。ありとあ…, 中村まさとしさんは、確かお母さんが入信してるとお聞きしました。木村拓哉夫婦は、完…, (♡´∀`♡)私は、ずーっと続けてしてみたいと思います♪ なんか、してみたら不思…. イスラムにおけるカリフとスルタンの関係では、キリスト教ヨーロッパ社会のように、聖と俗に別れてその優位を争うことがなかったことに加えて(実質は世俗の権力争い)、個人においても、キリスト教中世のようには宗教が個人を抑圧することもなかった。 「ごく少数ですが、モスクに嫌がらせをするケースは聞きます。でも、日本人が直接ムスリムに嫌がらせをするのは聞いたことがありません。日本人にとってムスリムの存在がさほど身近ではないということと関係しているかもしれません」, 世界でみると、ムスリムは約16億人で、キリスト教徒の約22億人に次いで多い。米シンクタンクの予測では、ムスリムの数は2070年にキリスト教徒に追いつき、2100年には最大勢力になるとみられている。, ムスリム比率を地域別にみると、欧州6.1%、北米1.6%なのに対し、アフリカとアジアは高い。, 一方、店田教授の推計によると、現在の在日ムスリム数は14〜15万人で、人口比0.1%。世界の中でも最低レベルだ。, ムスリムの出身国をみると、ムスリムという言葉から連想しがちなアラブ諸国とは別の国名が上位に並ぶ。店田教授の最新の調査(2010年末)では、滞日ムスリム11万人のうち、インドネシア2万人、パキスタン1万人、バングラデシュ9000人、マレーシアとイランが各5000人。アラブ圏は4000人にすぎない。結婚してムスリムとなった日本人も1万人いるとみられている。ここ5、6年はムスリムも、モスクも増える傾向だという。, モスク運営を安定化させるために、税制面で有利になろうとムスリム団体を宗教法人化する動きも出ており、14年6月現在で、17の宗教法人が設立されている。, 外国からやって来るムスリムだけでなく、イスラム教を「異文化」ととらえて関心を抱く人は増えているようで、東京・代々木上原にあるモスク「東京ジャーミイ」を見学する日本人は増加の一途だ。だが、相互理解が進んでいるとは言い難い。, モスク周辺に住む日本人住民の意識調査の結果を見ると、「ムスリムは怖い」というイメージを抱く人は多い。店田教授は「ISの影響で、ムスリムは誤解されている。寄付をまったくいとわないなど、助け合いの精神を持つ人がたくさんいるのに」と話す。, 英ロンドンで現地時間6月14日未明に起き、多数の死者が出た高層マンション火災でも、ラマダン(断食月)中のために深夜に食事をしていたムスリムが出火に気づき、多くの住民を助けたと言われている。, ラマダン中の礼拝を先導する宗教者(イマーム)として、パキスタン・ラホールから来日しているモハンマド・サーエクさん(40)は、こう話す。, 「イスラム教の名前を使って、イスラム教とまったく逆のことをしている。人殺しなんてありえない。善行をして神の前に戻らないといけないと思っているのがムスリムです。ISはどうしてあのような行動をとるのか、理解できません」, パキスタンからやってきたモハンマド・サーエクさん。日本に来るのは3回目で、「日本に住むムスリムは熱心に祈りを捧げると感心する」と話した, 日本で暮らすムスリムの胸中にはどんな思いが去来しているのか。各地に住むムスリムを訪ねた。, 「テロリストは入国させない」として、米国のトランプ大統領はイスラム圏などの市民の入国を禁止しようとした。米司法当局は「イスラム教徒に対する差別だ」などとして、これをストップ。しかし、欧州でも相次ぐテロの影響で、多くのイスラム教徒(ムスリム)は肩身の狭い思いをしている。ほとんどのムスリムはこう言いたいに違いない。「私たちはIS(過激派組織イスラム国)とは違う」と。日本でも「ムスリム排斥」の動きは起きているのだろうか。. 今後、IS等の過激派が日本という国家に対して直接危害を与える方法としては、少数によるテロ行為が最も起こる可能性が高いです。 ⅱ)50万人にのぼる軍人たちを武装解除せずに一斉解雇 そして、ISという組織の名前はわかるけど、曖昧なイメージしかない方が多いと思います。 イバード派 テロのターゲットとしては、 テロの恐怖は、もはや世界中どこにいても降りかかるのでしょうか・・・, テロ行為を行う組織で今一番戦力をもっているのは、「IS」というイスラム教の過激派組織と言われています。 last updated at : 2018/8/24 もっともこれら中東の状勢はどんどん複雑化しているので、実際にはこのような単純なものではなく、様々な裏事情がありそうですが…, これは思想的な背景によった人集め以外にも、経済力にモノを言わせて世界の失業者に対し、高額な給与をチラつかせているからなんですね。, 現在、彼らを殲滅させるための直接的な手段はないにしろ、資金流入の経路を絶ったり、戦闘員をこれ以上増やさないようにする等。決して国家としての軍事介入などではなく、どこまでも平和的な解決への取り組みに期待するばかりですね。, 次回のコメントで使用するためブラウザーに自分の名前、メールアドレス、サイトを保存する。. 1 ISって何?. 組織勢力の実態や現況、これまでの経緯、他のイスラム教徒との信条の違いなど、細やかな情報まで把握している人は少ないと思います。, とはいえインターネットを覗くと、随分とその情報も錯綜している感があり、真偽を確かめるためにさらに掘り下げて調べたりするうちにいつの間にか迷宮入りしてしまったり。 Index. Save my name, email, and website in this browser for the next time I comment. クルド人武装勢力の兵士の証言によれば「捕虜になった戦闘員の中には、数時間後正気に戻ったとき自分の居場所さえ分からなかった奴もいた」とのこと。, つまりやっていることの実態は恐怖による支配と洗脳であり、 武器や資金を調達した彼らは再びイラクへ戻り、銀行(何百億円)や油田(十カ所以上と言われている)を瞬く間に制圧。 パキスタンや中東などのイスラム社会には名誉殺人があり、父親が娘を殺すそうですが、なぜなのか?イスラム教の戒律でそう決まっている?そんな疑問に答えます。名誉殺人はイスラムに限った話ではなく、インドやヨーロッパでも起こっています。 「ジハード」⋯イスラム教徒が異教徒と戦うこと スーフィズム これらの政策は、スンニ派の人々の生活基盤を根底から覆す、極端なもので、当然スンニ派の人々の間では不満が募ります。 ISが破壊した世界遺産とその理由。 例えば、 だからといって勿論、それを素直に認めるイスラム教徒ばかりではなく、中でも、反米テロ組織アルカイダなどはそのことについて反対する姿勢を見せています。, 実際に、理想国家の顕在を信じて、他国から戦闘員として加わったイスラム教徒の中には、「実際の教えとはかけ離れている」と幻滅するケースなどがあるようです。 1.1 ISの存在のおかげで迷惑を被っているイスラム教徒; 1.2 勝手な「正統派」宣言。; 2 期待とは裏腹。 「こんなのイスラム教じゃない!」 2.1 彼らの目標。; 3 超金持ちテロ集団。; 4 IS(イスラム国)は元々アルカイダ系の組織. 追い込まれたシーア派政権の状況を見透かすように、2014年6月29日、ISは「カリフ(イスラム教の創始者ムハンマドの後継者)を指導者とするイスラム国家の樹立を宣言しました。 イスラム教とイスラム国(IS)は関係おおありです。 イスラム原理主義≒イスラム過激派でISはその一つです。 クルアーン(コーラン)には次のように書かれています。 2章(雌牛章) 191.かれらに会えば、何処でもこれを殺しなさい。 繰り返し行われている残虐な殺戮全てがイスラムの信条に基づいた行為であるかといえば、全くそのようなことはないことの証左ですね。, なんとIS(イスラム国)の戦闘員の所持品から麻薬や注射器が確認されているようです。 現在IS(イスラム国)は、首都(中心都市)はシリア北部の「ラッカ」と定め、宗教警察の巡回、路上での死刑執行などといった、独自の統治を行なっています。, 更には防衛省や保健省、電気省などを設け、閣僚を置き、インフラ整備を進め、現地住民を取材した情報によれば、地元住民からは暮らしやすさといった面でアサド政権時代よりも支持を得ているのが実情で、本格的な国づくりが着々と進められているのです。, ISは「世界で最も裕福なテロ集団」と言われており、潤沢な資金があるからこそこのようなことができるのです。, 総資産額はなんと日本円にして約2千億円に上り、占拠している油田からとれた原油を密輸することで一日2億円程度の現金収入があると言われています。, チュニジアがキッカケで起こった「アラブの春」という一連の民主化運動によって、イスラム独裁政権は次々と倒され崩壊していきました。, イラクでもアメリカの参入によって、フセイン政権が終焉を迎え、その後行われた選挙によって、新たにマリキ政権が発足します。, 因みにこの「スンニ派」と「シーア派」ですが、イスラム教では基本的にこのどちらかの派閥に二分されると考えて良いようです。 彼らはムスリムの中でも少数派であり、武力を用いなければ世間に存在を示すことができません。, 〈ISの他に有名なイスラム過激派組織〉 「礼拝」⋯1日に5回、定められた時間にサウジアラビアのカーバ神殿という場所に向かって礼拝をする。 双方の違いについてですが、スンニ派とは「慣行(スンニ)」や「教え」を重視していて、シーア派は「血統」つまり「誰が統治者」を重視しているそうですが、本人達の差別化意識については地域、個人によって異なるようですね。, 話を戻すと、フセイン政権下では、軍人や政府関係者などは「スンニ派」で固められ、シーア派を虐げるような政策の傾向性がありました。 つまり、「海外でテロに遭って死ぬ」確率はよっぽど危険地に行かない限り格段に低いことがわかります。, また、菅原出氏は『「イスラム国」と「恐怖の輸出」』でテロに遭うリスクを下げる方策を挙げています。, ⅰ)渡航する場所によって脅威の形態は異なるので、渡航前に地域の治安状況、紛争の有無など事前のチェックを必ずすること。, (2015/12/15 外務省 海外安全ホームページ http://www.anzen.mofa.go.jp/ より), ⅱ)活動エリア内に、テロのターゲットになりうる施設がどこにどれだけあるのか、どこの警備が脆弱なのかを認識する。 ムスリムの現実 in japan〜「is」が生んだ誤解の中で (1)isはイスラム教と逆のことをしている 社会 2017.06.28 http://matome.naver.jp/odai/2141309571052957801/2141309783356637803), イラク内戦のきっかけを作ったのは紛れもなくアメリカですが、一時の平和を崩すことになるスンニ派への圧政を行ったのはシーア派政権でした。 他の多くのイスラム教徒からしてみれば、イスラム教を利用したテロ組織であり、イスラム教を「詐称」した団体だと見なされているのです。, かのオウム真理教の教えは仏教が土台ですが、IS(イスラム国)のような過激派の存在をもって「イスラム教徒=危険な存在」と認識してしまうのは非常に短絡的であり、多くの穏健なイスラム教徒に対して失礼だという理解は最低限必要ですね。, 当面の目標として、過去にイスラムに縁のあった土地を取り返すことを掲げ、その地域は西はスペイン、東は中国、インドネシアまでという広範に及び、ゆくゆくは世界中の人々をイスラム教に改宗させようとしているようです。, しかし、それは彼ら独自のイスラム教観念の強引な押し付けでしかなく、他のイスラム教徒が認める布教とは到底言い難い、全くかけ離れた所業だと言えるでしょう。, 次に経済的側面や、成り立ちの背景などについて説明していきたいと思います。 ① イスラム教ってそもそも危ない宗教なの? この政権は、これまでのお返しとばかりにスンニ派に不利な政策を実施したことから、スンニ派の元軍人や元諜報機関員は不満を武力反乱という形で表に出しました。 みなさんはイスラム教の国と聞くとどのようなイメージを抱きますか?イスラム教というと女性は髪をスカーフで覆わないといけない、または男性は4人の女性と結婚することができるなど、男女関係に関して様々なルールがあるという印象を持つ方も多いのではないでしょうか。 日本にもテロはやってくるのか? 彼らの生活は、日本人からすればかなり非日常的なことばかりですが、ムスリムからすれば私たちの生活も違和感を覚えることばかりでしょうから、お互いさまです。, では、世界中でテロを起こしているイスラム過激派は、大多数の平和なムスリムとどこが違うのでしょうか。 「偶然現場に居合わせないようにする」のはかなり困難な話ですが、1億3千万分の数十人になる確率に怯えても仕方がないので、普段通りの生活を送っていただければ特に問題はないと思います。. これを、「自分たちと違う考えをもつ人なら攻撃してもよい」と解釈し、実際に武器を用いて攻撃しに行くのがイスラム過激派です。 近年、世界中のあちこちでほぼ毎日と言っていいほど、テロリストによる残酷な事件が起きています。 それだけでは他の過激派と変わらないので、少し歴史的に眺めてみます。, IS の出身地であるイラクでは、もともと少数派のスンニ派が支配的地位にあり、フセイン政権による独裁体制が敷かれていました。 category : ISIS(イスラム国) イスラム教, ! この記事は2015/3に執筆したもので情報が古い可能性があることにご留意ください, 近年急速に勢力を伸ばしつつあるこの組織ですが、そもそも何が目的なのでしょうか? ・ISが敵視する国の政府機関、政府を象徴する建物、軍や治安機関の施設 イスラム教を信仰している人(ムスリムという)の人口は2009年推計で約16億人で、世界人口68億人の22.9%を占めています。(社会実情データ語録 http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/9034.html) (2014年6月28日時点 イスラム国の支配地域の拡大がわかる地図 ところが政権がマリキに替わると、今度は逆にスンニ派を虐げる政策へと一転します。 友人と「イスラム国(IS)」の話題になったので イスラムには元々国境を超えたイスラム法統治による共同体志向があることや、 イスラムによるEUのような経済共同体の可能性、などを話した。 ISのカリフ制は、英仏(露)の密約サイクス・ピコ協定によって引かれた国境線を否定するだけでなく、領域国民国家を否定するものでもあるが、それは何も突然出てきたものではないのだと。, 友人は、米欧が中東に行った(行っている)ことは非難しつつも、世界に認められるにはそれでも国家は必要であること、そしてその国家は政教分離である必要がある、と主張した。 イスラムは政教分離が難しいのだと私が言うのに、キリスト教だって簡単じゃなかった、それでも政教分離を成し遂げたのだから、イスラムも出来ないはずはない、と譲らない。そう言えば以前にも、イスラムの政教分離について別の文脈で話したことがあり、やはりここで話が中断したのだった。, 友人の言い分はごく一般的な多数派のものである。彼ら彼女らはこれまで、この「信仰」(絶対視している点において)を自明のこととして疑う必要もなく、不都合も感じずに生きてきたのだし、イスラムについてはキリスト教圏バイアスのかかったイスラム観を無批判に(イスラムに別段関心もないし)受け入れてきているのだから、当然と言えば当然である。, 私たちの対話は、酒を飲みながらであったり、散発的なメールのやり取りだったりして、論点が行き違ったり、話しの道筋があちこちになったり、また当然私の説明力の不足もあって、どうにも中途半端である。言い足りないこと、言い忘れたこともある。それでここに、特に政教分離についてをキリスト教とイスラムを対比させながら(自分のためにも)整理しておこうと思う。, ただし、私にはキリスト教についてもイスラムについても限られた知識しかない。しかもきちんと文献や例証を出して論を組み立てるなんてことは出来ないので、ただ頭の中にあるものでつらつら書いてみるだけではある。, 大前提として、キリスト教とイスラムの成立と発展の過程の違いがある。キリスト教ではイエスはあくまで宗教指導者としてのみ活動し、死んだ(その死の物語により神格化されたが)。その後ローマ帝国が公認し、国教としたことが後のヨーロッパキリスト教圏を作る。キリスト教はまず国家の承認のもと、後々の発展のスタートを切った。初期には国家の下に宗教が置かれ、しかも聖俗それぞれに教皇と皇帝という権力者がいたのである。, 一方のイスラムでは、ムハンマドは最初から宗教だけでなく政治においても指導者であった。迫害から逃れ、信奉者をひきつれてメッカからメディナに移住し、そこで支配領域を増やし(戦いにおいても指導力を発揮し)、ついにはメッカをも領有する。最初から、神の使徒である指導者が統べる国家は、神の下にある。ムハンマドは元来優秀な商人であったことから経済政策にも秀でていたのだろう。非常に現世的、現実的な政治指導者でもあったわけだ。イスラムの教義が現世的な法体系(刑法・民法・商法・家族法 etc.)と規範集としてまとめ上げられたのには、このムハンマドの資質が大きいと言える。, 西ローマ帝国が滅びたのち、イエスから神の代理人とされた教皇は寄進により領土を持つようになる。また神聖ローマ帝国皇帝という王権が登場すると、正統性を得るためにローマ教皇による戴冠(承認)が必要とされた。これにより世俗国家の上にキリスト教、というよりも教皇権が君臨することとなったが、同時に教皇と皇帝の権力闘争も激化した。, 時の教皇と皇帝の力関係は「カノッサの屈辱」では教皇が優位に立ったが、フリードリッヒ二世のように何度破門されても意に介さず、ローマ法を研究した結果、近代法に通じる世俗法を施行し、政教分離を図ろうとする皇帝も現れた。またフランス王がアビニョンに教皇を「拉致」し、支配下に置いたこともあったし、皇帝がローマ教皇領を攻略し、ローマを略奪するなど、世俗の権力と教皇権は絶えず争い続けていた。, イスラムでローマ教皇に当たるのはカリフ(ただしスンナ派のみ)であるが、カリフは神の代理人ではなく、神の使徒ムハンマドの後継者との位置づけである。当初は政治指導者であったのが、宗教指導者の役割も担うようになる。王朝時代になるとスルタンなどの政治指導者に政治的実権は移るが、オスマン帝国時代にはスルタンがカリフも名乗るようになる。イスラムにおいては政治指導者と宗教指導者は分離しても権力争いとまではならずに並立し、統合すらされた。カリフはオスマン帝国解体・近代トルコ誕生にあたり、スルタンともども廃止され(1924年)、今に至っている。, キリスト教とイスラムでは信仰のかたちが異なっている。キリスト教は、神(と精霊とイエス)を信じる内面、精神性を純化していくことが信仰であるのに対し、イスラムは内面に加えて(ただし内面を問うのは神のみ)、クルアーンが定める行動規範を生活のあらゆる場面で実践するのが即ち信仰の体現である。聖なる生活と俗なる生活は一体なのである。, 戒律の厳しいイスラムはなんて窮屈なんだろう、と私たちは捉えるが、規範があるというのはある意味楽なことでもある。規範さえ守っていれば敬虔なムスリムとして、幸福な来世が約束されるのだから。, ローマ帝国亡き後、イスラムはごく短い間にアラビア半島から北アフリカ、西アジアを領有支配するに至った。これにより、ローマ後期にキリスト教化されていた地域が多くイスラムになってしまった。イスラムは改宗を強制しなかったから、キリスト教徒もユダヤ教徒も今に至るまで共存してきたのだが、ほとんどがイスラムに変わってしまったのには理由があるはずだ。税金を納めなくていい(その代り喜捨は課された)というだけでなく、何かメリットがあったはずだ。, ローマが滅びに向かうとき、国家運営の支柱としてという政治的な必要性だけでなく、人びとにとっても、御利益型の多神教では得られなかった魂の救済や、救世主の再臨と最後の審判、死者の復活が約束され、国家が投げ出した福祉や医療を担う組織を持つキリスト教は、理と利のあるものに見えただろう。それと同じように、イスラムが勝利を収めた確固たる理由が、あったのだと思う。それは何か、というのが長く私の疑問であり、どんぴしゃりという回答はまだ得られていない。だが、イスラムがその時代社会に何らかの適性を持つ宗教であったということは確かだと思う。, ヨーロッパキリスト教世界には、上記に見たように確かに長い政教分離の闘いがあった。だがこれは、厳密にいえば国家と宗教の分離をめぐるものではなく、国家と教会の権力の争いである。キリスト教世界には、ローマ教皇領を除いて、宗教指導者が政治指導者でもある都市国家や領域国家はなかった。常にひとつの領域の中で王や諸侯が教会と権力を争ってきたのだ。この争いは地域内だけでなく、広くヨーロッパ全土に及び、ローマ教皇と諸侯、神聖ローマ皇帝との間でも繰り広げられたが(叙任権闘争)、何故このような争いが可能だったかと言えば、なにも教会の宗教的権威としての力がそれだけ強かった、というだけではないのである。, キリスト教は教区を持ち、聖職者にもヒエラルキーがある。いずれもローマ教皇を頂点とする組織化が完成しており、財産も持つ。教区では教会が誕生から結婚、死に至る信徒の生活の諸相に深くかかわるだけでなく、告解によってその内面までも問う権威を持っていた。この力と政治的統治権力がぶつかるのは当然のことである。, また、中世を通じて教会は異端審問や魔女裁判などを行い、その暴虐的な権力性を高めた。免罪符の発行など腐敗も進んだ。それらもあって、神の(代理人による)支配への反発(宗教改革)と、多神教的哲学的古代への復興運動(ルネッサンス)が勃興し、聖と俗の分離を求める志向性もさらに高まったと言える。, (余談だが、古代の文献を保持したのはイスラム世界である。シチリアや南イタリアには進んだアラビアの科学や、灌漑・かんきつ栽培などの技術だけでなく、ギリシャ語からアラビア語に訳された古代の文献も(逆)輸入され、これが後のルネッサンスに繋がっていくのである。), イスラムには異端審問も魔女裁判も起こらなかった。何故かと言えば、イスラムの信仰は個人と神との問題であり、神以外が内面を問わないからである。実際に個人と神の間に内面を問いただす権力を持つ聖職者がおらず、組織もないのである。イスラム法学者はクルアーンやその他聖典の解釈をするだけであり、権威はあるが聖職者ではない。ムスリムは法学者の解釈に従っても従わなくともよいとされる(イスラム法的には)。また、モスクは単なる集団礼拝の場であり、教会のように教区を持つわけではなく、組織化もされていない。, イスラムにおけるカリフとスルタンの関係では、キリスト教ヨーロッパ社会のように、聖と俗に別れてその優位を争うことがなかったことに加えて(実質は世俗の権力争い)、個人においても、キリスト教中世のようには宗教が個人を抑圧することもなかった。つまりイスラムでは政教分離は、国家政治においても個人生活においても必要がなかったのだ。, 視点を現代に戻そう。欧米キリスト教圏は政教分離国家だと言われている。が、この政教分離も色合いは様々で、フランスのように厳密に公共空間から宗教性を排除しようとしている国もある一方で、ドイツやイタリアのようにキリスト教政党が政権に議席を持つ国もある(ちなみにドイツでは公教育で宗教教育–ただしキリスト教のみ–を受ける権利を保障している)。またアメリカにおいては、キリスト教原理主義者が(特に共和党に)強い政治的力を持ち、彼らの意見は政治を動かしてもいる。, またイスラエル建国をめぐっては、聖書の「ユダヤ人の約束の地への帰還」が国際的に認知されている。シオニズムは宗教運動ではなく、宗教神話を歴史的根拠に拡大解釈し、領土獲得(侵略・占領)を正当化する政治(民族)運動だと思うのだが、これを宗教運動と見るなら、政教分離原則の観点からは批判するべきである。, イスラム社会においても政教分離はさまざまである。国際的には、政教分離や一致は実はそれほど重要視されていない。たとえばイランは、イスラム革命により、アメリカの傀儡政教分離政権を倒して政教一致国家となった。欧米は非民主的な宗教独裁であるとか、女性差別的であるとかと言って批判するけれど、本音はいずれもどうでもよくて、ただ単に反欧米だから認めないのである(いずれにしろ、世界秩序にイランはすでにしっかりと組み込まれている)。これはサウジアラビアを対比させれば明瞭である。イランは非難するのに、やはり厳格なイスラムを統治に利用しているサウジアラビアが非難されることはない。サウジアラビアでは女性の運転は認められず(その後2018年6月に認められるようになった)、斬首公開処刑も公然と行われているというのに。, ヨーロッパのスカーフをめぐる論争を見ると、キリスト教圏の政教分離のご都合主義がよくわかる。あるときは世俗主義からスカーフを脱げと言い、あるときはキリスト教文化の観点からスカーフを忌避する。, そもそもフランス等の世俗主義は、宗教といえばキリスト教で、キリスト教(教会)と国家の分離ということしか想定していなかったように思う。その想定していなかったイスラム移民が増え、同化政策も多文化主義も必ずしもうまく機能せず、イスラム回帰が顕著になる過程で、問題はかつての政教分離より複雑なものとなっている。, このように、イスラムに政教分離を迫る論点にはいくつもの矛盾がある。また、国家と宗教の分離が絶対的であるとするには、まず国家と、宗教に対する国家の優位の両者の絶対性が前提となる。これはキリスト教(非イスラム)近代国家の枠組みであって、それををそのままイスラムとイスラム社会に無理やり当てはめようとする点において、ムスリムの人々の必要や必然を無視した乱暴なものである。そこにはイスラムは劣った宗教であるという差別や、イスラムに対する嫌悪や無理解も透けて見える。, イスラム世界においても、イランやサウジアラビアのような国もあれば、トルコのように、フランス並みの政教分離を掲げて近代化を進めてきた国もある。, だがそのトルコにおいても、ムスリム同胞団系の政権が続き、公共の場でのスカーフ着用が実質自由化されるなど、しだいにイスラム色が強まってきている。トルコといい、イランといい、(少なくとも一旦は)西洋近代民主主義を取り入れた国で、世俗主義が強化されるのではなく、むしろイスラム回帰が進んでいることがどういうことかを、考えるべきだろう。, またエジプトでは、ムスリム同胞団のモルシ政権でも、政変後の世俗軍政のシシ政権でも、憲法の法源は同様にクルアーンとハディース(ムハンマドの言行録)であると、明記されている。他の政教分離のイスラム国家も、ほとんどは近代法とイスラム法の折衷を採用しているという。, イスラムが非常に強靭な宗教であるということは、イスラム世界で社会改革運動が起きるとき、常にイスラム復興運動が主導的となることからも明らかである。ヨーロッパ植民地からの解放闘争でもそうであった。「アラブの春」による民主化運動でイスラム政党が躍進したのも、イスラムの中にある草の根的、相互扶助的な民主性や社会福祉事業の実態が現実的な政治勢力として支持を得ていたからであろう。, このように、イスラムによって公正な社会が実現するという主張が現代においても可能だということは、イスラムの法制度や宗教体系がそれだけ完成されていると言うことも出来る。だが、非イスラム社会はこのようなイスラムを評価せず、いまだ西欧民主主義だけが正しいと言っているように私には見える。また、イスラムは個人の信仰の教えと掟においては宗教であるが、社会の統治制度や法体系である点で、民主主義と同様の政治イデオロギーである。ゆえに、イスラムを宗教とだけ捉え、宗教が政治に口を出す、という見方は成り立たないのである。, 昨年のエジプトの政変で、ムスリム同胞団が政権を追われ、軍が政権を押さえる姿を目の当たりにした。私は当初、民主化を求めると何故イスラムになるのか、まず一昨年の民衆革命の帰結に納得がいかなかった。その宗教独裁化と経済政策の失敗から新たな民主化デモが起きた時、今度は軍という正反対に針が振れるのも、同じく納得がいかなかった。だがそれは、私自身が西欧民主主義の枠組みにイスラム社会を当てはめてみているだけなのであると、次第に思うようになった。, 彼ら固有のイスラム的民主主義が必要なのだということは、最初から分かっていた。それが西欧民主主義と異なることも、頭では理解していたつもりだった。けれども私もその時まで、実は政教分離は必要だと強く思っていたのだ。それが変わったのは、政教分離というと軍の独裁体制になってしまうことの意味を、考えたからだ。軍独裁は利益誘導親米欧であり、下からの社会改革を押さえつける。中東・アラブ社会に残っている遊牧民的な部族社会は、軍政と非常に親和的であり、世俗主義でイスラムの相互互助や富の分配概念、公平性などを取り去ってしまうと、歯止めなく強権独裁的となり、かつ腐敗しやすいのだとも考えられる。, けれども、アラブ・イスラム社会が、今、民主化と社会改革を切望しているのは確かなのだ。そこで人びとが何を支柱として立てるのかは、そこに住む人々の選択にゆだねるべきだろう。平和のイスラム改革を支持し、応援することこそが必要なのではないか。それをしないことが、「イスラム国(IS)」のような暴力的な「改革運動」を生むのではないか。, それをしないどころか、かつての東西冷戦時の資本主義と共産主義という対立軸に代って、キリスト教西欧近代民主主義対イスラムというあらたな対立軸が固定化されつつあるように思う。友人は、「イスラムなんてどうでもいいけれど、中東の争いは解決してほしい」という。だが、イスラムと向き合うどころか敵対するばかりでは、中東の争いは解決どころか一層激烈なものになるだけだろう。たとえISがつぶされたとしても、ISが出現する条件が変わらない以上、おそらく別のISが出てくるだけだ。, 押さえればむしろ地に広がる、攻撃すれば当然先鋭化する。「イスラム国」を全共闘と、誰かが言っていた。友人はオウム真理教と対比させた。私はポルポトを思い出していた。けれども、そのいずれとも異なるのはイスラムの存在である。イスラムは1400年にわたり、様々な様相で生き延びてきた。カリフがいなくとも100年も平気でいた。16億のムスリムの姿も、私が知っているイスラム圏6か国*だけでも、様々であった。場合によっては、その必要性があれば、イスラムは内部から世俗化(政教分離)するだろう。もともと世俗的な宗教なのだし。, *カタール、シリア、ヨルダン、トルコ、エジプト、モロッコの6か国だが、インドネシアをカウントするのを忘れていた。その後2015年にウズベキスタンに行ったので計8か国である。, トルコが世俗主義に大きく舵を切ったころ、欧米諸国は先進的であり、その発展には未だ陰りは見えなかった。日本の脱亜入欧もそうであるが、欧米が繁栄の優れた国家モデルであり得た時代、欧米型近代国家を目指し、世俗主義を取り入れることは魅力ある選択であった。だが、あれから一世紀を経てみれば、理想モデルは必ずしも理想的であるばかりでなく、自分たちを「食い物にして」繁栄しているという図式もまた、見えてくるのだった。, 政教分離が必要だというのなら、近代国家が良きモデルであり続け、それには政教分離が不可欠であり、そのことによってイスラムにもこのようなメリットがある、ということを政教分離を果たした側が目に見える形で示す必要がある。だが、今の私たちに、これが出来るだろうか。, ★2011年に同志社大で行われたカリフ制をめぐるシンポジウム 3年前の考察が見事に顕在化している。 CISMOR講演会「東西間のイスラーム・カリフ制 −歴史的考察と現在の展望」, ★読みっぱなしだけれど、抜粋だけでも参考として。 『ユダヤ教・キリスト教・イスラームは共存できるか』, イスラム世界がなぜキリスト教世界のような近代化を成し遂げられなかったのかという理由の一つに、後者のユダヤ金融を取り入れた結果である経済のダイナミズムに対するに、前者の異教徒への寛容な税制に見るような「停滞」的な経済システムをあげていて興味深い。, キリスト教とイスラム教の劇的な和解を演出する(伊東 乾  JBPress 2015.12.24), 日本人の多くは、日本は政教分離の国であると認識している。では公明党は? というようなことを ③政教分離の実態 に追記しないといけないかなあ、とは思っていた。, たとえ政教分離が(表向き)定着した社会であっても、宗教に政治を目指す(取り込む)必要性や志向性がある以上、宗教と政治の両者にとって益がある地点で、手打ちはなされる。, さて、安保法制強行採決のあと、にわかに現実味を帯びてきたのが憲法改正である。16年7月の選挙の結果、改正派は参院でも改正発議に必要な議員数三分の二を獲得した。が、これは、公明党がいるからこそ可能となる数字である。, もう一つ、改憲に大きな力を果たしているのが「日本会議」という「宗教右派統一戦線」である。会員38,000人のうち289名が現職国会議員であり(2015年8月)、第3次安倍内閣では、閣僚19人のうち15名を会員が占めた。これを神社本庁を筆頭とする神社界と新興宗教が支えている。, 日本の「政教分離」を言うときは、以下の点から目をそらすべきではない。即ち、日本の政治を大きく変えていく力を、二つの宗教組織ががっちりと握っているということ、そして、特に「日本会議」は、その宗教感に基づく国体や憲法の成立を目指し、政治の中枢に深く入り込んでいるということ。, 「日本会議」は、なかなか日本の主要メディアが取り上げなかった。「日本会議」そのものが注目を浴びることを徹底して避けてきたということと、昨今のメディアの腰引けのためもあっただろう。報道は海外メディアが主導した。, 今年になり何冊か話題となる本が出た。TVの選挙特番では(安倍)自民党の支持母体として紹介もされた。このことについては「選挙が終わってからじゃ意味がない(投票の参考にならない)」という声もあるが、今後のためにも可視化は大事である。, 国会議員の4割が参加する謎の団体「日本会議」とは(COURIER Japan 2015.8.4) 憲法改正を訴える日本会議の「危ない」正体-「宗教右派の統一戦線」が目指すもの(東洋経済online 2016.7.12), 日本人がいかに「政教分離」の<多様性>にについて知らないか、またキリスト教圏の政教分離の比較考察等、専門家による興味深い記事を読んだ。 「日本人の知らない〈政教分離〉の多様性――宗教との向き合い方は永遠の課題」『論座』(朝日新聞社)2001年10月号, 首相や閣僚の靖国参拝は問題視されるのに、伊勢参拝はほとんど問題視されないことや、「日本会議」派がめざす国家神道=明治憲法への回帰に抗う現天皇の姿勢など、興味深い指摘。 (憲法を考える)揺らぐ政教分離 宗教学者・島薗進さん(朝日新聞 2017.2.9), 「(2013年、安倍首相が伊勢神宮式年遷宮の「遷御の儀」に参列したことは)安倍首相が伊勢神宮神道で国家行事を行うようなもので、憲法が定める政教分離に照らして大きな疑問のある行為です。16年のG7サミットも伊勢志摩で行い、伊勢神宮で、通常は入れず正式な参拝の場である『御垣内(みかきうち)』に各国の首脳を導いています。外交行事に特定宗教を持ち込んだという疑念がぬぐえません」, 靖国参拝は外交上の問題で(も)あるからして外部から抗議が来るが、伊勢参拝は誰よりもまず国民が政教分離の憲法違反であると、声を上げなけらばならない問題である。が、この点、私たちもメディアも実に甘い。, 同時に思うのは、神道や仏教に対する私たちの「非宗教」感である。葬式や初もうでを宗教行為と思って行っている人がどれだけいるだろう。宗教のこのような慣習的行為は、教義で規定されているわけではない。なのにあまりにあたりまえになされている点で、日常の行為が信仰の実践であると自覚的に行っている社会と同じように、強固に宗教が暮らしと一体化している、とも言える。, 私たちが自分の国の政教(聖俗)一致に甘いのは、このように俗から聖を抽出分離することが苦手であり、ゆえにその行為の宗教性に無自覚であることも、関係しているかもしれない。葬儀に参列して読経に唱和し、神社の賽銭箱を前に祈る自分を無宗教だと主張することの奇妙さ。その人間の言う「政教分離」は、もしかしたら宗教の脱宗教化ということなのだろうか。.

兵庫 サッカー, ロッテデパート 通販, Nhk 解約忘れ 返金, 陽だまりの彼女 潮田 役, カルテット 面白い, ロッテ 習志野 2020, Miu404 菅田将暉 名前, 高校サッカー 大学 内定, 坂元裕二 満島ひかり, 騎手 年収, 埼玉栄中学 サッカー, 坂口健太郎 好きな女性のタイプ, ロッテ 滋賀工場, チョコレート お菓子, 千葉ロッテマリーンズ 始球式 今日, タラレバ娘 漫画, ひ づき はな 捜査一課長, 北村友一 ダービー, アメリカ 東 海岸 白地図, ビル クリントン 名言, 富山県サッカー協会 横領, 東大 競馬予想, スイングステート 米大統領選, サバイバー テレビ アメリカ, アフガニスタン戦争 死者, ハクソーリッジ モデル, 馬好王国 動画, ジャニーズ 経歴, ビューラー フォーム, 高畑充希 兄弟, 戦争映画 日本 2018, 競馬 先週, ダグ エムホフ, 大森学園 サッカー部ツイッター, 小野伸二 ベンチ,